2012/12月掲載
「みんなで一緒に暮らしたら」「ソハの地下水道」「007スカイフォール」「のぼうの城」
みんなで一緒に
暮らしたら
2011年フランス・ドイツ合作 上映時間1h36 <予告篇>
STAFF
監督・・・ステファン・ロブラン
脚本・・・ステファン・ロブラン
撮影・・・ドミニク・コリン
音楽・・・ジャン=フィリップ・ベルダン
CAST
ジャンヌ・・・ジェーン・フォンダ
アニー・・・・ジェラルディン・チャップリン
ディルク・・・ダニエル・ブリュール
アルベール・・ピエール・リシャール
クロード・・・クロード・リッシュ
ジャン・・・・ギイ・ブドス
アルベール(ピエール・リシャール)とジャンヌ(ジェーン・フォンダ)の夫婦、ジャン(ギイ・ブドス)と
アニー(ジェラルディン・チャップリン)の夫婦、一人暮らしのクロード(クロード・リッシュ)の5人は、
パリの郊外に住む永年の友人同士です。いつもアニー夫婦の家に集まってお互いの誕生日を祝います。
ジャンヌは記憶を失いつつある夫のアルベールを案じていますが、自身も持病を抱えています。
ジャンは高齢を理由にNPO活動への参加を断られ怒っていますし、妻のアニーは孫を遊びに来させるために
庭にプールを作ると言ってききません。独身生活を謳歌するクロードは、若い女性に夢中で、趣味の写真撮影も
女性のヌードばかりを撮っています。そんなある日、愛犬オスカルの散歩中にアルベールが転倒します。
しばらくして今度はクロードが心臓発作で入院してしまいます。いざという時に頼りになる友だちの有難みを
知ったジャンヌは、共同生活を提案します。こうして、40年来の友人同士による共同生活が始まるのですが
今までの様にお互い自由には振る舞えず、なかなかうまくいきません。
年を重ねても衰えないジェーン・フォンダの懐の深い演技はさすがです。
ラストで彼女の覚悟と気配りに感心し、そして、苦笑します。
ジャンヌが自分らしく生き抜くことの大切さを教えてくれるのです。
2012/12/22サロンシネマ(紅孔雀)
ソハの地下水道
2011年製作 ドイツ・ポーランド合作
上映時間2h25 <予告篇>
STAFF
監督・・・アニエスカ・ホランド
脚本・・・アニエスカ・ホランド
デビッド・F・シャムーン
撮影・・・ヨランタ・ディレフスカ
美術・・・アーウィン・プリブ
CAST
レオポルド・ソハ・・・・・・ロベルト・ヴィエツキーヴィッチ
ムンデク・マルグリエス・・・ベンノ・フユルマン
クララ・ケラー・・・・・・・アグニェシュカ・グロホウスカ
バウリナ・ヒゲル・・・・・・マリア・シュラーダー
アニエスカ・ホランド監督が極限状態に置かれた人間のエゴ、猜疑心、本能を抉り出します。実話です。
舞台は1943年のポーランド、現在のウクライナ共和国です。ソハは下水道の保守・管理をしていますが
ユダヤ人の家に忍び込み副業で「空き巣」もやっています。いつものように下水道の見回りをしている時、
収容所行きをのがれるために家の中から穴を掘り下水道に逃げてきたユダヤ人に出会います。
通報すれば報奨金が手に入るのですが、彼は金と引き替えにユダヤ人を匿うことにします。
それは金が無くなるまで匿ってそのあとで通報するという計算高いものでした。しかしユダヤ人たちの人数は
多く子供たちもいて食料の調達も簡単ではありません。しかも執拗にユダヤ人狩りを行う将校が目を光らせ、
ソハの妻子や若い相棒は処刑の恐怖に怯えるようになります。ソハも精神的重圧に押し潰されそうになりますが、
その悲惨な窮状を目の当たりにしてきたソハは、支払える金が無くなってもユダヤ人たちを助けることにします。
結局彼らはドブネズミが這いまわり、悪臭漂う下水道に14か月もの間隠れ続けたのです。
ラストの一体感は人間としての筋を貫いた者だけが得られるものです。しかしその後、ソハは・・・。
エンドロールで写し出されるテロップ「人間は神の名を使ってでも人々を罰したがる」が強烈です。
2012/12/15 サロンシネマ (紅孔雀)
007
スカイフォール
2012年日本公開 英・米合作 上映時間2h22 <予告篇>
STAFF
原作・・・イアン・フレミング
監督・・・サム・メンデス
脚本・・・ジョン・ローガン
二―ル・バーヴィス
ロバート・ウェイド
撮影・・・ ロジャー・ディーキンス
音楽・・・ トーマス・ニューマン
CAST
ジェームズ・ボンド・・・ダニエル・クレイグ
M・・・・・・・・・・・ジュディ・デンチ
ラウル・シルヴァ・・・・ハビエル・バルデム
ギャレス・マロリー・・・レイフ・ファインズ
イヴ・マネーペニー・・・ナオミ・ハリス
007はその時代の最先端の技術を取り入れて製作し、旬な俳優を使うことで脱皮を繰り返し、成功を収めて
きました。今回もその伝統は受け継がれています。ファーストシーンから屋根の上をバイクで走り回る追っかけは
スピード感満点です。話のスケールはやや小さくボンドの所属する英国の諜報組織M16内部の裏切り者を見つける
騒動物語です。少し中だるみ感はあるものの結局古典的な武器が勝敗を決します。
ラストの家屋の炎上は「風と共に去りぬ」並みに派手に燃えますし意外なことが起こり「ああそうなんだ」と
思わせます。製作開始から50周年ということでジョン・バリーのお馴染みのメロディを聞くことができますし、
ボンドカー アストンマーチンも登場します。ボンドガールは期待しないでください。
それらしいオネエチャンは出てきますが活躍の場はほとんどなくて直ぐに消えてしまいます。
またファーストシーンではキャタピラー三菱製のバックホー(ショベルカー)が使われますし、長崎の軍艦島も
ロケ地になっています。製作がコロムビアなので当然なのですが使われているパソコンはデルではなく
ソニーです。そんな細かいことも見つけながらの観賞でした。2012/12/5 八丁座にて(紅孔雀)
のぼうの城
2011年 日本映画 上映時間2h25 <予告篇>
STAFF
監督・・・犬童一心 / 樋口真嗣
脚本・・・和田竜
撮影・・・清久素延 / 江原祥二
音楽・・・上野耕路
CAST
成田長親・・・ 野村萬斎
豊臣秀吉・・・市村正親
正木丹波守・・ 佐藤浩市
ちよ・・・・・ 尾野真千子
映画は良くできていた。この出来なら映画ファンならず、暫く映画から遠ざかっていた映画ファンも満足して
帰っていったであろう。まず思ったことは、今だからこのような映画が出来た事である。CGなくしてこのような
俯瞰の画面が出来得なかったろうに、と思うのである。映画では石田三成が敬愛する豊臣秀吉と同じような
水攻めで、忍城を攻めたとあるが、実際は逆に攻めかたを失敗して危うく溺れかけたとある。
真意はどうであれ、石田三成が、忍城を攻撃したことは間違いない。後はその膨らませかただが、
観客を納得させる作品に仕上がっている。闘わずして城を明け渡す城主。何としても一戦敵と交えたい部下。
しかし、500対20000では、闘う前から雌雄は決しているのです。しかし城代家老である成田長親の
出した答えは闘うであった。三成に対して勝ちをつけさす出来レースのはずが、思わぬ展開で戦になってしまう。
何とその理由が使者の言いようが気にくわないであった。これには部下たちもびっくりしてしまうが、
意外にも日頃から「のぼう様」と慕っている百姓たちが味方についたために士気が上がってしまったから
これ大変である。それからの展開は観てからのお楽しみだが、とても興味が沸く人物である。果たしてあの時代に
あのような人間がいたのか不思議でもあるが、興味が沸いたのは石田三成だけではあるまい。
この映画を観たみんながそう思ったであろう。知恵と優しさでこの世を変えてゆくだけの力があるのだ。
力が万能の時代だからこそ、今みんなが必要としているのは、知恵と優しさなのであろう。それは今でも
通用することであると思う。嘘と偽りで国民と住む人々を欺いた原発の事故。力とお金で弱い者に押しつける
沖縄米軍基地問題、あげればもっとあるが力で制服したものは力でしか解決しかない。結局解決にはならず
一時しのぎしかならないである。「のぼうの城」は力や数字ではなく、知恵と優しさでこの世を乗り切ろうと
言っているのではないか。名作「七人の侍」で「勝ったのは我々ではない!百姓なのだ」と言うセリフを
思い出してしまった。それは「のぼうの城」でも言えることではないかと思った。 2012/12/2(T・H)