判決、ふたつの希望  鯉のはなシアター  スターリンの葬送狂騒曲     <8・9月>

判決、ふたつの希望

2018年 レバノン・フランス 1時間53分 <予告編

監督:ジアド・ドゥエイリ

出演:アデル・カマル/カメル・エル・バシャ/リタ・ハーエク/クリスティーン・シュウェイリー/カミール・サラーメ

 

 

 難民と居住民との間の啀み合いから始まり、通常は居住民側が、制度でも住民感情でも優位なのだが、レバノンにおけるパレスチナ難民は、警察からも裁判所からも守られ、難民も少数派ではなく、住民間で、十分対抗勢力となっていた。控訴審では、排斥的な姿勢をもつ弁護士が居住民側につくが、難民側にも反ヘイトクライムの姿勢をもつ弁護士がつく。法廷での遣り取りのなかで、二人は父娘であることがわかり、肉親間の反感も交じって、複雑化してくる。裁判官も、傍聴席や一般市民の感情に留意しながら審理を進めていく。当事者間での仲裁に大統領までも動きながら、譲らなかった二人だったが、自動車の故障をめぐって、互いの心が少し動く。やがて、居住民にも、幼少期において民兵による虐殺体験の心理的外傷体験が確認されることにより、それぞれの弁護士も対応を変える。最終的には、裁判官の多数決で決定されるが、当事者もそれぞれの弁護士も、納得して晴れ晴れとした表情であった。

 先般観た『みかんの丘』も、民族間の遺恨をいかにして乗り越えるかという話であったが、それは小さな家のなかに閉じられ、互いに愛着を感じることで恨みを捨てるというものであったが、こちらは法廷内外にも開かれており、互いの遺恨を認め合うことで、痛みを共有するという方向であり、一歩進んだものと言えるだろう。

 『わたしは、ダニエル・ブレイク』に関して、湯浅誠氏がトランプ以後に作られたこの映画をトランプ以後に見るという時代の偶然に立ち会っている私たちは『ダニエルはトランプを支持しただろう』と思って見るべきだ、と私は思う」「やるべきことは、トランプのおかしさをあげつらうことじゃない。『私は忘れていなかったか』と胸に手を当てて考えることだ、そして、できることに着手することだ」と書かれていて、そのときは違和感があったが、この作品の居住民の感情を考えると、その見方があてはまるかなと思う。あるいは、これまでも、様々な推理小説で、事件を起こした加害者の生育歴を考慮するという展開はいくつもあったので、そう目新しいことではないかもしれない。<鑑賞20189>

(竪壕)

はなシアター

2018年 日本 1時間34分 <予告編

監督:時川英之 

出演:徳井義実/矢作穂香/小越勇輝/高尾六平

  題名から、当然広島カープ球団の物語だと思っていた。同名のテレビ番組もあることを知った。映画の冒頭では、やはり、カープの試合で躍動する選手の姿や、それに熱狂するファンの姿が雰囲気を盛り上げている。

 広島の街並みがたくさん映し出されながら、鷹野橋商店街の場末の映画館に焦点が移っていく。一人の主人公は、節目節目で、確かにカープの珠玉秘話に関する蘊蓄を語っている。それだけでも「鯉のはなシアター」なのだが、ここでは「シアター」=映画館に重みがかかっている。廃れかかった場末の映画館を舞台として、二人の主人公が協力して立て直していくという物語である。そしてそれは、同じ場所に実在していた映画館を立て直していった、広島市内に現存する映画興行会社の現社長の経歴とかなり似ているのである。

 そのような展開を考えると、先行上映はその会社の映画館でやるべきではないかと思った。もちろん、事実と異なる脚色部分も多く、テレビ番組でも「とある架空の映画館」という設定なので、あえて距離を置いているのかとも考えた。近いうちに、その社長の感想が聴きたいものである。<鑑賞20189>

(竪壕)

 

スターリン葬送狂騒曲

2017年 イギリス 1時間47分 予告編

監督:アーマンド・イアヌッチ

出演:スティーブ・ブシェーミ/サイモン・ラッセル・ビール/ジェフリー・タンバー

 

 日本の秀吉死後の『清須会議』に擬える評が目立っている。確かにスターリンの子どもたちを担ぎ出すような、似ているところもある。けれども、それが奏功したわけではない。スターリンの死の直後に、まさに秀吉のように立ち回って権力を握ろうとした策士は、様々な立場からの不満を招くことになった。そして、不満を抱く実力者とうまく手を結んだフルシチョフの反撃に潰された感がある。

 フルシチョフは、スターリンの生前の圧政を批判した「秘密報告」を出す前に、そのように他の政敵を葬る手筈をかなり進めていることがわかった。スターリン死後、一時東欧の自由化ムードが高まったかのようにみられていた。しかし、その直後に自由化ムードを戦車で蹂躙してしまった。そうした手法にも似ているように感じた。

 ブラックコメディといわれ、滑稽な場面もあることはある。けれども、ブラック度が強烈過ぎて、あまり笑えないのが正直なところである。<鑑賞20188>

(竪壕)